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北新町(きたしんまち)

餅花(もちばな)

元禄7年(1694)、貞信公の人形にはじまり、彭祖先人、陶朱公、頼政鵺退治、那智山滝行などを飾りましたが、享和元年(1801)からは餅花を飾るようになっています。

餅花は、木の枝に餅や団子をつけて豊作を祈願する飾りものです。

江戸時代末の安政の大地震(1854年)で田辺は大きな被害を受けましたが、この時に北新町の笠鉾、祭典道具、記録等も消失してしまいました。

北新町(きたしんまち)

江戸期は田辺城下八町の一つで、町割当初は長町(後の栄町)が東端でしたが、その後、熊野街道沿いに徐々に町家が立ち並んで新町が形成され、長町に続く繁華街となりました。現在も熊野街道(熊野古道)の中辺路と大辺路に分かれるところに「道わけ石」が立っています。

寛永年間成立と推定される田辺城下図絵(闘鶏神社蔵)に「新町」の名があり、これが後に「北新町」となりました。なお、北新町からさらに南に延びた新町が「南新町」となります。