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武蔵坊弁慶生誕の地・たなべ紀伊田辺駅前で仁王立ちし、にらみをきかす弁慶像。
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「勧進帳」「船弁慶」など、歌舞伎や人形浄瑠璃などでもよく知られている武蔵坊弁慶。しかしながら、彼が実在した人物であったかどうかはさだかではない。伝説は後年に寓話となり、五条橋での義経との出会いや仁王立ちで大往生を遂げるという逸話が伝承されてきた。
この人物が田辺生まれだとする考えは、地元では広く信じられている。出生地について田辺説が最も有力だと考えられるのは、「義経記」の記述によるものである。それによると弁慶は熊野別当家の嫡子で、幼名を鬼若といった。比叡山で修行を行った後、山を降りるにあたって自ら名付けたのが、西塔武蔵坊弁慶という一般によく知られている名前である。 武蔵坊弁慶の出生地とされる本市には、彼にゆかりのある史跡が多い。彼の誕生を記念して植えられたという弁慶松も現在は6代目となり、市庁舎の前に見事な枝ぶりを見せている。このほど初代の弁慶松をしのんで、片町弁慶松跡には弁慶松モニュメント(記念碑)が建立された。その他にも闘けい神社にある産場の釜、八坂神社の腰掛け石、産湯の井戸など数々の史跡が残されている。JR紀伊田辺駅前の広場には弁慶像が立てられ、田辺市のシンボルとして堂々とした姿を見せている。 毎月第3日曜日の午前9時から午後にかけて闘けい神社前で弁慶市が立つ。約80店の露店がずらりと並び、地元の特産物だけでなく生活用品なども市価より安く手に入れられるとあって、人気を集めている。田辺で生まれ、数々の武勇と伝説を残した弁慶の名は、これからも形を変え、時を越えて語り継がれることだろう。 |