黒潮の恵みにより冬は暖かく、夏は比較的涼しい温暖な地域の田辺市。
その町の概要と、田辺で生まれ育った偉人達をご紹介します。

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植芝盛平(うえしばもりへい)

合気道の創始者植芝盛平翁は田辺市上の山に生まれ、幼い頃から武道にはげみ、19歳で修行の旅に出て各流の武術遍歴を重ねつつ独自の武術を習得しました。
また、青年のころ、田辺在住の南方熊楠の「神社合祀反対運動」に共鳴をしたり、北海道の開拓においては、紀州団体の長として入植するなど多方面で活躍をしております。
1922年(大正11年)に独自の武道を『合気道』と名付け、国内はもとより世界中にその名を広めました。
86年の生涯において、たゆまぬ求道鍛錬の結果得たものは、「天地人和合の道」。体を鍛え、技を磨くことによって気と心を鍛え、平和と愛の力、すなわち真の和を求めようとする合気の精神でありました。盛平翁はつねづね「合気とは敵と戦い敵をやぶる術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である」といい、そもそも合気道は、相手と相和して切磋琢磨をはかり自己の人格完成を目指す武道だと述べています。

盛平翁の道場には、柔道の達人・嘉納治五郎が訪れていますし、海軍大学校長の高橋三吉、歌舞伎役者の六代目菊五郎や作家の中里介山など多くの著名人が盛平翁の門を叩いています。
合気道は、日本のみならず世界の武道として広く愛されるとともに大きく発展を続けており、現在、世界56ヶ国150万人もの弟子や愛好家たちによって支えられています。1988年(昭和63年)には生まれ故郷田辺市で第5回国際合気道大会がはなばなしく開催され、その記念として扇ケ浜公園内に、盛平翁の銅像が建てられています。
田辺市では、植芝盛平翁を名誉市民として称え、盛平翁の偉業と功績を後世に伝えていくため「植芝盛平翁顕彰会」を組織し、多くの方々の賛同と協力を得て顕彰事業に取り組んでいます。

逸話として残るエピソード

  • 京都府綾部でのこと。道に立ちふさがっていた黒松の根おこしに今まで7,8人の人たちが力いっぱい押してもビクともしなかった黒松が、盛平翁が一人でゆっくり押しつづけるとゆらゆら動き始め、根を一人で抜いてしまったのです。
  • 同じく京都府綾部でのこと。盛平翁が消防隊を結成していたとき、消防隊員の訓練のひとつとして行ったものですが、盛平翁が、両足を開いて立ち、そこへ5,6歩さがった位置から隊員達が突進して、胸に体を打ちつけるという荒業でした。隊員達は、相撲のぶつかりげいこのように、次々に全力でぶつかっていきましたが、盛平翁は、一歩もさがることなく、全員のあたりを受け止めてしまいました。
  • 盛平翁の怪力ぶりは、田辺市高山寺の道場にも残っています。盛平翁が壁にひとさし指一本を押しつけただけの腕に、二人の柔道家(約150kg)がぶらさがるというものです。ところが、盛平翁は顔色ひとつ変えず二人を腕にぶらさげてしまったのです。ちなみに盛平翁70歳の時でした。

植芝盛平ゆかりの地

植芝盛平ゆかりの地をめぐるコース

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