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本町(ほんまち)

尉(じょう)と姥(うば)

世阿弥作の謡曲「高砂」に出てくる尉と姥です。

尉と姥は、阿蘇の神主友成が上京の途中、高砂の浦で出会った高砂の松と住吉の松とう相生の松の精である老夫婦です。所を隔てていても心は通じるという長寿と夫婦の愛情の故事をひいた大変めでたいものです。

本町(ほんまち)

慶長11年、浅野氏家が湊村城(田辺城)を築城した際、城下の中心として最初に町割りされました。これが「本町」の町名の由来といわれています。

浅野氏家の最初の居城は、川向かいの上野山城で、その城下として形成された古町などから人々が移住してきました。
当時は田辺城下の中枢機能をもち、旅商人宿、酒屋、大工、塗師屋、畳屋、傘屋仕立物やなど多職業の商職人がいました。

明治22年の市制町村制の施行により田辺町ができたときも町役場が置かれ、明治33年には田辺銀行が創設されるなど、田辺の中枢機能をもっていました。

海運が盛んになると文里港が田辺の玄関口となり、町の中心は東側に広がってきました。大正10年、役場は上屋敷町へ移転し、昭和初期には紀伊田辺駅の開設などにより以前の活気は失われてきましたが、今も様々な店が並びます。