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栄町(さかえまち)

猩生(しょうじょう)

唐土の高風という孝行者が、夢のお告げで市で酒を売り、やがて富貴になりました。ところが市の度に来て酒を何程飲んでも平気な者がいるので名を尋ねると海中 に住む猩猩と答えました。そこで高風は酒を用意して尋陽の江の辺で待っていると、猩猩が現れ、酒を飲み、舞を舞い、高風の純な心を褒めて、いくら飲んでも 尽きない酒壺を与えたといわれています。
栄町の人形は「猩生(しょうじょう)」とされています。

神宮皇后(じんくうこうごう)と建内宿禰(たけのうちのすくね)

仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母にあたります。建内宿禰は、仲哀天皇と神宮皇后に仕えていた大臣(おおおみ)でした。

栄町(さかえまち)

「栄町」の町名としては、田辺城下の上長町、下長町が合併してできた明治4年以降の町名。江戸期以来の繁華街であったことから栄町と言う名がつきました。

田辺で初めての銀行(第四十三銀行田辺支店)が明治12年開行し、明治20年に宿屋8件、食物割烹8件、呉服屋7件、万屋6件、米屋3件、醤油屋3件ほか店舗があったと言う記録が残っているなど、「栄町」の名のとおり賑わっていた町でした。