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田辺祭の由来

田辺祭の発祥

田辺祭絵巻

田辺祭を古文書でみると、紀州藩主浅野幸長(あさのよしなが)、田辺領主が浅野左衛門佐(さえもんのすけ)の時代であった慶長10年(1605)に、「権現宮祭礼町中改車」、同12年「流鏑馬三騎町より出」という記録があります。また、徳川頼宣(よりのぶ)が藩主になって徳川御三家が成立し、頼宣の附家老であった安藤帯刀直次(あんどうたてわきなおつぐ)の領知となってからの寛永10年(1633)には、一時、能の奉納となったようですが、寛文12年(1672)に袋町(福路町)の鉾の台が車となり、翌年の延宝元年には町中の台が車となったという記録があり、この頃には現在の笠鉾の原形ができあがったようです。