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「笠鉾」について

田辺祭 笠鉾巡行

笠鉾

笠鉾は山車の一種で、田辺では一般に「お笠」と呼ばれ、名物のひとつです。

笠鉾を出すのは本町(本町組)、福路町・紺屋町・片町(福路町組)、栄町・北新町・南新町(栄町組)、江川町(江川組)で、紺屋町は大正15年から笠鉾に替えて衣笠、江川町は笠鉾2基と住矢と呼ばれる衣笠を出します。巡行はこの組単位で行われます。先頭を勤めるのは江川町の住矢、それにつづく本町の順は変わりませんが、そのほかの組順は毎年変わります。但し、組内での町順は変わりません。

笠鉾の形

笠鉾の上屋には作り物を飾ります。上屋に飾る各町の作り物は、本町が「高砂の尉(じょう)と姥(うば)」、福路町が「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、片町が「関羽(かんう)」(宵宮)と「神宮皇后(じんぐうこうごう)」(本祭)、栄町が「猩生(しょうじょう)」と「神宮皇后と建内宿禰(たけのうちのすくね)」、北新町が「餅花(もちばな)」です。南新町は、町内を東組・南海組・西組・天日組の4組に分け、4年に一度廻ってくる当番組が祭に参加します。「須佐之男命(すさのおのみこと)」(東組)「牛若丸」(南海組)「新田義貞」(西組)「汐くみ」(天日組)はそれぞれの組の守り神で、曳初(例年7月19日)、宵宮の午前、午後、本祭の順に飾り換えます。江川町の2基の笠鉾には「恵美須」と「大黒」を飾ります。

本町高砂の尉(じょう)と姥(うば)
紺屋町衣笠
栄町猩生(しょうじょう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
建内宿禰(たけのうちのすくね)
南新町新田義貞(にったよしさだ)
須佐之男命(すさのおのみこと)
牛若丸
汐くみ
福路町日本武尊(やまとたけるのみこと)
片町関羽、神功皇后
北新町餅花
江川恵比須、大黒

下屋にはお囃子の人びとが乗ります。笠鉾下屋に乗るお囃子は、太鼓・小太鼓・横笛・三味線の組合せと太鼓・小太鼓・横笛・鉦の組合せ(片町と江川町2基)があります。
奏でる曲は、黒髪・越後獅子・娘道成寺・新曲浦島・三番隻・雪月花・岸の柳・小鍛冶・深川・祇園囃子・戻り囃子などで、地唄などの合いの手を組合せたものもあり、町ごとに優美を競います。

行列の構成

笠鉾巡行の行列は、鬼1人、先囃子の子供、太鼓3人、笛3人、世話役数人、警固4~15人、笠曳き9~20数人、高張提灯持ち10人程度という構成になります。
本町は鬼ではなく天狗(猿田彦命(さるたひこのみこと))2人となります。

巡行の様子

行列は、宵宮の朝、本町に集合し闘鶏神社からの神輿を迎えて、神輿渡御に随行し、潮垢離の儀を勤めてから各町を巡行し、夕方には神社前に曳き揃えられます。

午後7時頃に笠鉾は鳥居前を勤め「つれもていこら」で旧会津橋へ向かい、橋の上で再び曳き揃えられます。笠鉾の紅提灯が川面に映る情景は、田辺の夏の風物詩です。

25日の本祭では、笠鉾はそれぞれの町内を曳き廻り、正午に旧会津橋に曳き揃えられ、見どころのひとつである「七度半の使い」の儀と潮垢離の儀が行われます。
夕方に神社前に曳き揃い、午後7時30分頃から宮入りとなります。
住矢が最初に神前を勤め、そして「笠やぶち」(住矢の解体収納)をします。
その後、笠鉾は順番に宮入りして、得意のお囃子を奏して神前を勤めます。 
闘鶏神社の二の鳥居前で三人の稚児による流鏑馬が披露された後、手打ち式があって田辺祭は終ります。笠鉾は、先囃子の稚児たちを上屋に乗せて、あおい通り・湊本通り・栄町をへて各々の町への帰途につきます。

各町の笠鉾に乗っている人形の紹介

各町の笠鉾に乗っている人形の紹介

住矢

住矢は名のとおり、町々の住居(すまい)を矢のように走って厄を祓い清め、一年間の無事安泰を祈願する役を果たす衣笠です。
また、常に神輿や笠鉾の先頭にたって巡行路を清めて行きます。
一度通った道を後戻りすることはなく、右に廻らないのがしきたりです。 住矢の御神体は松にあります。
7~9段の枝があって形の良い雄松を選び、葉をふのりで固め枝ぶりを整えます。
住矢は江川町が担当します。