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南新町(みなみしんまち)

新田義貞(にったよしさだ)・須佐之男命(すさのおのみこと)・牛若丸・汐くみ

新田義貞は、鎌倉幕府を滅ぼした戦いで、戦勝を龍神に祈願して、稲村ケ崎の断崖から海へ太刀を投げ入れると、たちまち干潟となって鎌倉に攻め入ることができたといわれています。
そのときの義貞の姿が人形として奉納されています。

新田義貞は南新町4組の西組、須佐之男命は東組、牛若丸は南海組、汐くみは天目組の守り神です。

南新町(みなみしんまち)

江戸期は田辺城下八町の一つで、町城は広く、大工、綿打、桶屋、左官、屋根屋、指物、小細工、塗師、鍛治など多くの職人が住む職人町でした。

寛永年間成立と推定される田辺城下図絵(闘鶏神社蔵)に「新町」の名があります。これは後に北新町となりますが、新町が南に伸びていったところが寛文5年の検地町割で南新町となりました。

もともと闘鶏神社までが町域でしたが、明治3年に下屋敷町ができたときに、闘鶏神社前の宮路通りは下屋敷町となりました。