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紺屋町(こんやまち)

衣笠(きぬがさ)

金襴織の大笠で、八咫烏(やたがらす)が縫い込まれています。
衣笠の上に五段の車のような枝ぶりの雄松を飾ります。
近年ではこの松を採ることが大仕事になっています。

紺屋町の笠鉾は、江戸時代から淡海公、忠度、弘法大師など多くの人形を飾りましたが、明治22年の大水害で笠鉾を失い、大正15年7月に衣笠となりました。現在の衣笠は平成18年に新調されたものです。

八咫烏は、神武天皇東征のとき熊野から大和へ入る険路の先導となった烏で、加茂建角命の化身と伝えられています。

紺屋町(こんやまち)

「こやまち」とも言い、江戸期は田辺城下八町の一つで、町名は紺屋(染め物屋)が集まっていたことに由来します。後に紺屋は少なくなってきましたが、町名として「紺屋」が残っています。

また、宝歴11年には鋳物銭造の釜ができ、明治には田辺で最初の写真館が、また演劇場(のちに映画館となった)もできるなど、紺屋が少なくなっても賑わいが続いてきた町です。