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世界遺産 鬪雞神社

世界遺産 鬪雞神社

鬪雞神社 社殿

熊野三山の別宮的存在

社伝によると允恭天皇8年(419年)に創建。
白河天皇の時代(1073~1087)に熊野三所権現を勧請し、熊野参詣の折には鬪雞神社に参拝して心願成就を祈願したと言います。
また、鬪雞神社に祈願して三山参詣に替えたという伝承もあり、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の別宮的存在として熊野信仰の一翼を担っていました。
社殿は熊野本宮大社が川の増水で流失する以前と同じ配置をしており、熊野信仰の歴史をいまに伝える貴重な場所です。

※鬪雞神社は、2016年10月に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました。

源平合戦の命運を分けた伝説

湛増・弁慶の像

鬪雞神社の名は平家物語壇ノ浦合戦の鶏合せの故事に由来します。
源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当・湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせました。すると、ことごとく白(源氏)の鶏が勝利したため、源氏に加勢することを決め、熊野水軍200隻を出陣させました。熊野水軍の加勢が合戦の勝敗に結びついたともいわれます。
境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像があり、社務所には源義経が奉納したといわれている笛(銘白竜)、弁慶産湯の釜、湛増が使ったとされている鉄烏帽子や鉄扇等の宝物が展示されています。

藤巌神社

鬪雞神社境内にある藤巌神社(とうがんじんじゃ)は、現在の田辺の基礎を作った安藤直次公をお祀りする神社です。
安藤直次公は幼少期から徳川家康に近待し、姉川合戦、長篠合戦、長久手合戦などに従軍。のちに家康の側近として幕政に参画しました。
1610年、徳川頼宣(家康の第十子)の傳役となり、1619年に頼宣が紀伊に移ると、紀州徳川家附家老として田辺に移り3万8800石を治めました。屋敷城(のちの田辺城)の築城や城下町の整備を進め、商業や文化の発展に力を注ぎました。また、安藤公が梅の栽培を奨励したことが当地の梅栽培発展のきっかけとなりました。

仮庵山と南方熊楠

社殿背後の仮庵山(かりおやま)の中腹から山頂では、平安時代末期から鎌倉時代初頭の経塚が発見され、当時高級品であった品々が多く見つかっています。
また、世界的博物学者の南方熊楠さんは、この山を「クラガリ山」と呼び、平地ではなかなか見ない密林であるとして調査研究しました。
熊楠さんの妻・松枝はこの神社の宮司の娘で、結婚前にはなにかと理由をつけて松枝に会いに通っていたというほほえましいエピソードも。


主な祭・イベント

1月1日歳旦祭7月24日~25日田辺祭
1月10日十日戎祭10月14日弁天祭
2月3日節分祭11月23日新嘗祭
3月3日弁慶社例祭12月31日年越大祓式・除夜祭
4月15日御田祭毎月1日月首祭
5月13日藤巌神社毎月15日月次祭
6月30日夏越大祓式毎日日供祭

田辺祭

鬪雞神社の例大祭で、「お笠」と呼ばれる山車の、上屋には各町の趣向をこらした人形や餅花が飾られ、下屋には囃方の子どもや笛吹き衆が乗って町中を曳き廻します。古式ゆかしい夏祭りで、毎年7月24日・25日は大勢の人出でにぎわいます。

弁慶まつり

源平合戦期に弁慶と湛増を中心に繰り広げられた熊野水軍のドラマを壮大な時代絵巻として再現。当日は、弁慶ゲタ踊りや弁慶よさこい踊り、弁慶鬼若太鼓などがにぎやかに行われます。

弁慶まつりホームページへ

みんなのおすすめ情報
  • 街中にありながら熊野の空気を感じられる場所。(28歳・男性)
  • 世界遺産にもなっていて歴史を感じられる。(14歳・男性)

所在地マップ

住所:和歌山県田辺市東陽1-1

  • JR紀伊田辺駅から徒歩約5分。
  • 南紀田辺ICから車で約10分。